同志社リーダークランツとは


概 略

 同志社リーダークランツは、昭和8(1933)年に同志社高等商業学校(当時)に設立された男声合唱団で、創部以来、現在も同志社大学公認の男声合唱団として活動を続けております。

 

同志社大学ホームページ 公認団体 文化系

https://www.doshisha.ac.jp/student_life/s_support/club.html

 われわれ同志社リーダークランツOB会は、同志社リーダークランツを卒団した者で構成された団体であり、会員相互の親睦と現役諸君への支援を目的として活動しています。


歩 み

  同志社リーダークランツは、昭和6(1931)年に、同志社高等商業学校(現、同志社大学商学部)の合唱団として結成された。当時同志社には「プリムロー ズ」という男声合唱団が存在したが、同志社高商在籍のメンバーであった中村仁策(リーダークランツ初代指揮者/元神戸中央合唱団指揮者/元関西合唱連盟最高顧問・1991年没)らが中心となり、プリムローズより独立した。

 

  団名の「 リーダークランツ」liederkranz とは、直訳するとドイツ語で、「歌の花冠」です。

 

 結成に際し、同志社OBの山口隆俊氏(当時東京リーダーターフェルフェライン指揮者、故人)より「ドイツには、世界最高のアマチュア男声合唱団が二つ有る。どちらも甲乙つけ難く、供に世界一だ。一つはリーダークランツ、一つはリーダーターフェルだ。諸君のご精進を祈る。」の祝辞と供に命名戴き、「同志社高商リーダークランツコール」として活動を開始した(なお、正式発足は昭和8(1933)年9月である)。

 

  その後次第に実力をつけ、昭和20年代には、関西合唱コンクール入賞を続けるなど、関西男声合唱団の雄と目されるようになったが、その一方で、新制大学へ の移行期にあたり、団存亡の危機に立った。しかし、現役-OBが一体となって危機を乗り越え、さらなる飛躍を遂げることとなる。昭和30年代には、常時 60~70名の部員を擁し、当時、学生合唱団としては異例のテレビ出演も果たしている。


 昭和40年代後半には、大学紛争により、団は壊滅の危機に瀕したが、当時の現役諸兄の並々ならぬ努力とOB首脳の大石量三氏(昭和18高商卒、故人)ら の激励のもと、よく持ちこたえ、再び嘗ての勢いを取り戻した。昭和50年代中葉からは、関西合唱コンクールで入賞を続け、ハイレベルの学生男声合唱団とし て認知されるようになった。

 

  昭和60年代から平成に入ってからは手塚治虫「火の鳥」をモチーフとしたオペラを演奏したり、また初の海外演奏(チェコ、プラハ市)に参加するなど、精力的な活動を続けたが、平成23年には団員が4回生4名だけとなり1年後には廃部の大きな危機を迎えた。現役-OBは、今回も一丸となってその危機を克服し、本日の隆盛を迎えている。危機に遭遇するたびに、不死鳥のように復活する同志社リーダークランツは、これからも新しい可能性に挑戦し続け、校祖新島襄 先生が遺書で残した「倜儻不羈」(てきとうふき※)たる精神を受け継ぐ、無比の男声合唱団として飛躍していくであろう。

※倜儻不羈

遺言で「同志社においては(てきとうふき)なる書生を圧束せず務めて其の本性に従ひ之を順導する可し」と記した。新島先生は『倜儻不羈』なる書生、すなわち、才気がすぐれ、独立心が旺盛で、条規では律しがたい生徒、学生を型にはめずに、その自主性を生かして育てることを重視した。(以上同志社大学ホームページから抜粋)

 

詳細は歴史頁をご覧ください。